living sparkly naturally 地球と身体にやさしい生活

ワシントン州からフロリダ州に引っ越し。身体にやさしい食生活、ゆるゼロウェイスト、そして二児の母としての毎日を綴ります。2021年6月からフルタイムRV生活をしています。!

日本の3歳児検診を受けた話

今回の一時帰国中に3歳の誕生日を迎えた息子、3歳2か月で3歳児検診を受けてきました。

3歳児検診と言っても、私が住民票を入れている自治体では本来は3歳6か月以降~4歳の誕生日の前日に受けるのがスタンダードらしいのですが(自治体によって様々)、私達は3歳半になる頃にはアメリカに戻ってしまっていて受けられないので少し前倒しで受けさせて貰える事になりました。でも3歳半に満たないという理由で、集団検診なのにうちだけ終始別室で行われました。検診の内容は3歳半以降の発達をみるものなので、3歳半に満たない子供は検診結果が基準に満たない事もあるから、との事でした。

結果としては身長体重、歯科、内科、尿検査、視力、聴力、言葉の発達、理解力、どれも異常なし。そもそも、3歳半以降の発達を診るとの事ですが、10人子どもがいれば10人それぞれの発達パターンとスピードがあるのは当たり前で、3歳半で4歳児の平均身長の子もいれば2歳児の平均体重の子ももちろんいるし、言葉だって早い段階からとりあえず喋りだす子もいればずっと喋らなかったけれど、3歳過ぎて爆発的に喋りだす子もいるわけで。別に母子手帳の発達曲線に沿った成長をしていなくても何ら問題は無い!この母子手帳の存在が多くのママたちを不安にさせたり悩ませる根源になっていると思います…。

我が家は今までフッ素塗布もしていないし今回の検診でもしない事、そしてワクチン接種も行政の接種スケジュールに沿って打つのでは無く、接種するかどうかは必要だと判断したタイミングで私達両親の判断の元受けさせる(受けさせない)事をはっきりと伝えました。私は保健師さんや小児科医と対立する事も、私の意見と考えを押し付けて論破する事も、相手を陥れる事にも一切興味はなく、ただただ私がこれまでに搔き集めた情報や経験、母親として子供の健康を守る事だけを見ているので、お互いが嫌な思いをせずに感情的にならずに認め合えるように、を心掛けてお話してきました。

結果的に、担当してくださった保健師さんも小児科医も、私の考え方や方針をそのまま受け入れて下さって嫌な思いをする事もなく検診を終える事が出来ましたが、自治体によって、保健師さんや医師によっては怒られたり別室送りになったり、ひどい場合は児相送りにされる事もあるそうで、実際に友人(他県在住)は担当医師(おじいさん)に罵倒されたと聞きました。それでも彼女は反論もせず落ち込む事も気持ちが揺らぐ事もなく検診を受け終えられたのは、彼女が自分自身で予防接種のメリットデメリットを調べ、誰かに依存するのではなく自分で納得して判断しているからだと思うのです。

これからインフルエンザの季節で、予防接種をしなければ!とメディアの煽りが始まりますが、くれぐれもご自身で良く調べて納得して打つかどうか決めていただきたいものです。「免疫=抗体がある=病気に罹らない」という図式は本当に正しいのでしょうかね?

 

一時保育もあと少し

9月から始めた一時保育、最初の3週間は週に3回半日だけ預けていましたが、4週目からは1日(7時間)預けるようになりました。園でちゃんとお昼寝できるだろうか、1日預けたら子どもに負担かなとか色々不安でしたが、お迎えに行くと先生から離れず、帰らない!と逃げる息子をみると1日預けて良かったと思います。

一時保育クラス担当の先生が大好きで、お昼寝の時に違う先生だったら意地でも寝ないし、お昼寝から目覚めた時に担当の先生がいないと大号泣するという話を聞くと、このままずっとこの園に通わせてあげたいなーと思ったりもします。私もこのこども園の雰囲気が大好き。園長先生も、他のクラスの先生も用務員さんも、全員が全ての子どもの事を把握していて、一丸となって子ども達を見守ってくれているのが伝わってくるのです。こんな暖かい雰囲気の中で子どもを育てていけたらどんなに良いだろう…と思います。

最近息子は、「〇〇(息子の名前)のおうちはアメリカにあるの。」と言うようになって、「もうすぐダディーがお迎えに来て、みんなでアメリカに帰るよ。」って言ったら、「□□こども園おわり?××先生が良い!!!」と泣きそうになりながら訴えてくるのです。更に最近では1歳下の男の子と仲良くなり、まるで兄弟のように終始くっついて過ごしているという話を先生から聞きました。一時保育は週に最大3回までの予約制(うちの自治体の場合)なので、毎回周りにいるお友達の顔ぶれも違うし日によっては先生と息子1人だけという日もありますが、最近はこのお気に入りの男の子と一緒になる事が多くなり毎朝登園を楽しみにしています。2歳になりたてのお友達はまだ上手におしゃべりできないけれど息子の事を気に入ってくれて、家に帰っても息子の名前を呼ぶそうです。園では手をつないで給食を取りに行ったり、息子がスプーンでご飯を食べさせてあげたり、お互いにどちらからともなくくっ付いていくそうです。最近息子の口癖「ノー!!」を覚えたらしく、家でも嫌な事があると「ノー!ノー!」と言うようになったとママさんから聞いて、「すみません~、よりによって最初に覚えた英語がNoなんてー!」と笑い合ったりもしています。

アメリカに帰ったら、またアメリカのお友達がいてプリスクールの先生もいる。アメリカでのいつもの生活に戻るだけなのだけれど、このまま日本に住みたいな…と思う自分がいます。2年前の一時帰国ではこんな風に全く思わなかったのに、不思議。

あと片手で数えられる回数しか一時保育に預けられないけれど、残り僅かなこども園生活を思う存分楽しんでほしいです。

 

秋祭りや法要…日本でしか経験できない事

日本滞在も残すところ3週間弱になりました。

3か月の一時帰国、長いようであっという間でした。やりたい事も沢山やったし食べたいものも一通り食べたけれど、人間とは欲深いもので、物事の終わりが近づくとあれもやりたい!これもやっておきたい!と、次々と頭に浮かんでくるのだから困ったものです。でもこれが生きているって事だし、人間と動物の違いだったりするのかしらねと思ったりもします。

 今回の一時帰国中、母親である私の勝手な希望ではありますが、3歳2か月になった息子に日本で経験して欲しい事も幾つかありました。大まかに分けると5つ。

アメリカでは私達親子3人の核家族なので、日本にいる間は祖父母としっかり関りを持った日々を過ごす。

②日本のこども園で、日本の先生とお友達と一緒に過ごす。

③お墓参り、神社仏閣を訪れる。

④祖父母や親だけでなく、親戚や近所の人とのふれあい。

⑤日本の伝統文化や四季を感じる。

 アメリカ生活では基本的に私達親子3人で過ごしているので、どうしても叱ったり褒めたりは私達夫婦どちらかの役割になっていて、時には子どもの逃げ場が無くなったりお互いに息苦しくなったりしているなと思う時があります。おじいちゃんおばあちゃんと過ごす事で、両親とは違った楽しさや発見、親以外の人から叱られたり無条件の愛情を注いでくれる存在が僕にはいるんだと知るきっかけになったら良いなと勝手に思っています。私自身がおばあちゃんっ子で、縫い物や畑仕事、料理などを今は亡き祖母から教わった事が沢山あります。2歳だか3歳の頃、祖母におんぶされて祖母が洗濯物を干したり料理をしている手元を背中から見ていたのを今でも覚えています。寒い冬、祖母の背中にくっついて暖かくて気持ちよかった事も。息子にもそんな記憶がうっすらと残ってくれたら良いな、と思います。

普段私は標準語で息子に話しかけていたのですが、この1ヶ月の間に息子はしっかり方言を身につけました。こども園の先生や友達との関り中でしっかりコミュニケーションをとれている証拠かな。今回は親戚の法事もあって、息子を連れて参加したのですが、おじさんやおばさんに囲まれ、あっちでチヤホヤ、こっちでチヤホヤされて、それも息子にとっては新鮮だったと思います。

アメリカの我が家には、小さな神棚を設置しています。私は八百万の神様も仏様もどちらも大事にしています。古来から日本人が大切にしていた古神道もご先祖様を大事にする仏教的な考え方も、どちらも私にとっては蔑ろにしたくないもので私が日本人であり私が私であるベースになるものだと思っていて、息子が生まれた頃から毎朝神棚に手を合わせる姿を見せてきたし、亡くなった祖父母の事を言い聞かせてきました。息子もなんとなく神様と仏様の違いを分かっていているようです。日本にいる間に神社やお仏壇に手を合わせる経験をし、彼の中で彼なりに感じる事があったかも知れない…かな、と思います。

今回はタイミング良く秋祭りの時期に日本に滞在できたので、先週末に早速近くの神社に連れて行きました。息子は和太鼓が大好きで、お囃子が聞こえてくると勝手に体が動き出して踊りだし、獅子舞や御神輿にすっかり魅了されていました。お祭りの概念を理解するのはまだまだ先の話ですが、今後もっと日本文化に興味を持つきっかけになったら良いなと思います。

全て本人の意思とは関係なく私のエゴではあるけれど、日本人とアメリカ人の両親を持つ身として、どちらの国で育つにしても両方の文化をしっかり知る事が今後彼がアイデンティティーを確立していくうえでとても大事な事だと思うの、できる限りの事を母としてやりたいと思います。

でも結局のところ、私が1番楽しんでいます。

 

 

絶対食べてはいけない!は無い

先月頃アップしたのに翌日消えていた(削除された?事故的に消えちゃった?)記事をもう1度投稿します。

 

健康に気を付ければ気を付けるほど、食の安全を考えれば考えるほど、自分で調べたり考えたり知識や情報は膨大になっていきます。

〇〇には××が良い!と書いている本もあれば、〇〇には××はダメ!と言っている人もいるし、良かれと思って食べていたものが実はダメだった!なんて事も数え切れない程でてきて、結局何が良くて何が良くないのか分からず何もできなくなってしまう人も多い印象を受けます。

でもね、実際は絶対食べてはいけない!絶対ダメ!は無いと思うのです。我が家はそういうスタンスで生活する事で落ち着きました。完全無農薬で育てた野菜と自然の中で育った動物や魚しか絶対口にしないという人や完全に菜食主義で動物性食物は食べないというストイックな方もいますが、私にはそこまではできません。そこまで徹底してしまうと、残念ながら100%自給自足しないと今の世の中生きていけないし、水道水も飲めないし空気でさえ汚染されているので文字通り、生きていけない。

実は独身時代に完全ビーガンな食生活をしていた時期があります。(このブログを始めた頃にビーガンであると書いたブログ記事をあげていましたが、今は非公開にしています。)健康と自然環境保護、動物愛護のためを思ってあちこちで色々な情報を搔き集めて、ああでもない、こうでもないと必死でした。今でも菜食中心に動物性食物は少量だけ頂くという食生活を続けていますが、ベジタリアンとかビーガンという枠組みにはとらわれていません。ただただ色々と試してきた結果、自分と家族にとって1番心地良く、精神的にも体調的にもベストな状態を保てるのが菜食中心+動物性食品を少々頂くという形だったというわけです。

私はホメオパシー愛用者でホメオパスになるための勉強をしていますが、そのホメオパシーで使われるレメディーはこの地球上のありとあらゆるものから作られていて、植物や鉱物だけではなく、動物からも作られています。1つ1つのレメディーの効能はハーネマンの時代からプルービングされてきて、今まで多くの患者の命を救ってきましたし、私自身も自分や家族の急性症状やケガなどに用いています。1つ1つの症状と1つ1つのレメディーを照らし合わせて1番合うものを摂ることで、症状が消えたり自己治癒力が刺激されて治癒が早まったりするのを自分で経験し、自分の目で見る事を重ねていくと、神様(ここで言う神様とは、ある特定の宗教の神を指すのではなく、何か偉大な存在、Something greatという意味です!)はこの宇宙に存在するもの全てのもの、全ての命に使命を与え、それを人類が発見し活用する事を許していると思った時に、ふと肩の力が抜けました。そして、ビーガンでお肉は食べないけれど、動物から作られたレメディーは摂るし、クライアントさんにも処方します。っていうのも矛盾しているじゃん、とある時ふと思ったのです。気づくの遅いけど…。

環境のため、健康のため、動物愛護のため、様々な理由でビーガンやベジタリアンに転向する人が沢山いて、それぞれの思想や信念は尊重されるべきだと思うし、私を含めビーガンをやめた人達もそれぞれの考えや経緯があってそうすると決めた事なので、そこを非難したり文句言ったりするのは違うと思います。

ただ私はビーガンになれば地球温暖化から地球を守れる!という話も最近のグレタさんを崇拝するニュースも違和感だし、(地球温暖化という言葉自体が嘘だったりね。)、菜食で健康になれるというのもそうとは言い切れないと経験上思うし、動物は食べ物じゃない、だからビヨンドミートや大豆ミートを使ってお肉の替わりにしようっていうのも結局加工品の過剰摂取だし動物愛護のためならそれらの食品パッケージのプラごみは気にしないの?と思うし、何というか、総合的に考えてビーガンや菜食という括りに拘らず、質の良いもの、エネルギーのある生きたものを有難く頂く事が大事だなと思います。そしてこれからの時代は不要なものをスムーズに体外に排出できる健康な身体を作る事が重要ではないでしょうか。

高齢者ドライバーに車をぶつけられた話

秋分の日、母と息子と3人で森林公園へ出かけた帰りの事。

喉が渇いたし、ちょうど3時のおやつ時だからとお気に入りのカフェへ母の運転で向かいました。お気に入りのカフェの駐車場は広いのですが、カフェの隣に大きな本屋さんがあり、祝日という事もあって混んでいたので駐車スペースを探していました。

私たちの前に高齢者マークを貼った軽自動車がいてのろのろ進んでいると思ったら、急に道のど真ん中で停止、こちらも身動きが取れず車間距離を開けて停まって待っていたのですが、なんと急にバックをし始めました。母も私も一体何が起こっているのか一瞬理解できなかったのですが、このままバックしてきたらぶつかる!もしかしてこのドライバー、私達の車に気づいていないのか?と思い、とりあえずクラクションを鳴らし続けました。後ろに出入りする車が何台かいたので、私達は身動きが取れず、結局そのまま母の車にガツンとぶつかりました。助手席から降りて軽自動車に駆け寄ったら、運転していたのはおじいさん。私が降りて行って初めて自分がぶつけた事に気づいたようでした。明らかに動揺していてアタフタして、車から降りてこないし、駐車場のど真ん中で停まって動かないのでとりあえず私が110番通報しなければ!と思ったのですが、私のスマホは日本では役立たず(free wifiが無いと繋がらない)、こんな日に限って母はスマホを家に忘れてくるわで、その場にいた知らない男性に声を掛け、携帯を貸していただきました。

母にはとにかく駐車スペースを探して駐車するように指示、警察到着まで待機。

おじいさんは耳が不自由でクラクションの音が聞こえなかった。私たちの車も見えなかったしぶつかった事にも気が付かなかったと言っていました。

結局、10対0で相手方の保険会社が修理代を全て負担してくれることになり、今は修理工場に部品が届くのを待っている状態です。そして何より、誰一人として負傷者がいなかったのは不幸中の幸いでした。物が壊れたらまた直せば良いけれど、人の場合はそうはいかないのでね。

おじいさんと最後に連絡先を交換した時に免許証を見せられたのですが、母方の祖父と同い年で、もし祖父が生きていたらきっと今でも車の運転をしているだろうし、もしかしたらこんな事故を起こしていたかも知れないと思うと、何だかとても胸が苦しくなりました。地方都市で車が無いとどこにも行けない、買い物さえも行けない環境なので、年をとっても車の運転をせざるを得ない状況である事はわかるのですが、聴力が低下したり運動機能が著しく低下したり体が不自由になった時は、潔く免許証返納する事も必要だなと思いました。

そして翌日、先祖のお墓参りに行ってきました。守って下さった事、なかなかお参りに行けない事を謝罪しないとと思って。

何だか色々と考えさせられた出来事でした。

仕事復帰について考える

私はとても幸運なことに、息子が4歳になるまで4年間の育児休暇を頂いています。

日本の企業ならば子供が満1歳になるタイミングで職場復帰、妊娠が分かった時点で保活を始めなければならない地域も多いと聞きます。私の属している会社はドイツ企業、育児休暇終了時点で退職する選択も、職場復帰をする選択も、パートタイムに切り替える選択肢も、用意してくれています。なんて有難い。

私の場合はちょっと特殊な環境で、結婚当初夫はアメリカ在住、私はドイツ在住、遠距離結婚生活からスタートし、妊娠発覚を機にすぐさま産休を取得、ドイツのアパートを引き払って夫のいるアメリカへ引っ越し、そのまま育児休暇に突入しました。仕事に関しては転職2回しながらずっと同じ業界、同じ職種で休まず8年働いていたので、妊娠出産を機に1度仕事から離れて家族と一緒に同じ家で暮らせる事が有難く、子育ても楽しいし、復帰の事はずっと後回しにあまり真剣に考える事なく過ごしてきました。

育児休暇もあと1年弱で終わる、そろそろ考えなければなーと思っていたところに、同じタイミングで妊娠出産をし育児休暇を取得していた同僚から、同業他社に転職、無事にOJTも終えて9月から本格仕事復帰をすると報告メールが来ました。

そのメールを読んで、正直とてもショックで…。というのも、その同僚は二児の母で上の子は息子と同い年、下の子は1歳を過ぎたばかり。下の子が3歳になるまで育児休暇を延長したと聞いていたので、まさかこのタイミングで転職・仕事復帰をするとは思っていなかったのです。そしてその転職先というのが私がずっと入りたいと思っていた会社だったのです。物理的にも私のキャリアプラン的にも、今はその会社に入るという選択肢は無かったし、今そこに入社したいかと言われたらNo!なのですが…。

子供を産んで、1人の女性、夫の妻としてではなく、1人の母としての生き方を考えるようになって、「仕事」への価値観が変化しました。

私にとって「仕事をする」という事は、自分の時間やスキル、エネルギーを使って対価(お給料)を頂く事です。子育てをする母として、子どもを預けて(目と手の届かないところに預けて)まで「仕事」がしたいか、と言われたらやはり違うのです。

ただ、これまでやってきた職種は世界中の人々との出会いがあり、いろいろな場所へ行ける、福利厚生も企業によって若干の違いはあるけれどとても良いし、子供の頃から憧れていた仕事で仕事自体は好き。その代わり不規則な勤務形態、家を離れる事も多いのがデメリットです。しかもアメリカ在住でドイツが職場。やっぱり無理がありすぎるかな…。

価値観は人それぞれ、経済状況も生活環境もそれぞれの事情があるから、何が正しくて何が間違っているとは言えないけれど、私は仕事のために家族や子どもを置いて数日家を空けたくない、そう思っています。

好きな仕事だけれど、家族と離れたくないなんてわがままなって思われそうですが…。たった1度の人生だからこそ、悔いのないように決断したいし、やりたい事をやりたい、だからこそ色々考えて悩むのです。うちは住宅ローンも車のローンも借金も何もないし、夫も「やりたい事をやれば良いよ、働きたいなら働いても良いし働かなくても良いよ」という人なので、絶対働かなければならないという状況ではないからこその悩みと言えばそうなのかも知れない…。

この仕事を辞めて次にやりたい事もあるのです。だから、悩む必要なんて無いっちゃないのですが、今までのコンフォートゾーンを抜け出すときにはきっと誰もがこんな風に悩んだり不安を抱いたりするはず!と思ったり。やっぱり自分で稼いだお金で好きなものを買ったりプレゼントしたりしたいしね。

結局、同僚の転職・職場復帰報告のメールにショックを受けたのは、彼女が一足先に決断し次のステップを歩みだした、しかもそのステージが私がずっと憧れていた企業だった、という事なんですかね。こうして文章に書くことで冷静に頭の中を整理できてきました。

いや~、私の独り言に付き合わせてしまって…ごめんなさいね。

 

 

 

 

 

初めての一時保育

今日は初めての一時保育。本来は9時から13時までの半日預かりですが、初日なので今日は11時半までの慣らし保育でした。

前日から「こども園にいくの!」と楽しみにしていた息子。教室でお別れする時も「じゃあね!ばいばい!」と笑顔で送り出されました。もともと人見知りも場所見知りも殆どしないし、アメリカでも週に2回プリスクールに通っているので問題無いと思っていましたが、予想通りの展開(笑)

アメリカでは90分プリスクールの待合室で他の保護者と一緒に待っているのですが、今日は2時間半時間が出来たので母と一緒に時間潰し。息子が生まれてから息子抜きでカフェへ行った事が無かったので、こんなにも静かにのんびりコーヒーを飲めるなんて夢のようでした。でも何だかこの静けさに慣れなくて、妙にソワソワしてしまいました。

慣らし保育が終わったら4時間しっかり自分の時間ができるので、その時間を使って勉強したり買い物したり、図書館で調べものをしたり、時間を有効活用したいと思います。

ドキドキしながらお迎えに行くと、息子はしっかり給食を食べ、先生とそれはそれは楽しそうに遊び「おうちに帰らないの!」と言い張ってなかなか帰ろうとせず、最後は職員室に入って色々な先生から「〇〇君、また水曜日待ってるね!」と声を掛けられ、抱き抱えて帰ってきました(笑) 車の中でふと自分のバックパックを指さして、「ママ、これ(買ってくれて?準備してくれて?)ありがとう!」と言い出し、ビックリしました。お風呂に入って寝かしつける時は今日の出来事を思い出して「先生とごはん(給食)食べたの。(息子の分の給食を先生にあげようとしたけれど、)先生は要らないよって言ったの。」と言いながら眠りにつきました。

小さい身体で毎日たくさんの経験をして感じたり考えたり、大人が思う以上に子供の世界は色鮮やかで日々成長しているのだなと思うと、胸にこみ上げてくるものがありますね。