living sparkly naturally 地球と身体にやさしい生活

ワシントン州からフロリダ州に引っ越し。身体にやさしい食生活、ゆるゼロウェイスト、そして二児の母としての毎日を綴ります。2021年6月からフルタイムRV生活をしています。!

2021年、あるがままの私を受け入れ愛する

2021年、いかがお過ごしですか。年が明けてもう5日目(日本は6日)。1日24時間本当にあるのかな?と思う位毎日があっという間に過ぎ去っていきます。

ワシントン州はずーっと雨。初日の出も拝めず、今年はお正月らしくないお正月を過ごしました。おせちは黒豆煮、お雑煮のみ準備しただけ。30日の夜に黒豆を仕込んで(灰汁を取って調味して鍋帽子で一晩保温)、翌朝更に火にかけて硬さを調整するだけの簡単黒豆煮。重曹を使わなくてもふっくら仕上がりました。真っ黒にはならなかったけれど…。

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我が家の1月2日の夕食はカレーでした(笑)全体的に甘い味付けのおせちを数日続けて頂くよりも、その都度その都度食べたいものを頂く方が夫も子どもも良いみたい。

 

これまで新しい年が始まると目標を掲げていたのだけれど、今年はそれも止め。

私は私のままで、それだけで素晴らしい。唯一無二の存在。

他の誰かの真似をする必要も無いし、他の誰かになる必要も無い。

「頑張らないとダメ」「~でなければならない」って思考を手放す事にしました。

私の感情にひたすら耳を傾け、私が本当に望む事、心地が良い事をしよう。

もっと自分に優しく、地球にも優しく生きていきたいです。

 

 

 

 

 

 

必要なものはもう既にある

2020年も間もなく終わりますね。

10月のハロウィンから始まって、サンクスギビング、クリスマス…とイベント続きのこの時期。

我が家は何も特別な事はせず、いつも通り穏やかに過ごしていました。

大量消費、大量使い捨て、超物質至上主義国アメリカで過ごしているともうこの一連の流れから「もううんざり。一抜けた!」って気持ちになるのです。

何も考えず、何も疑問に思わず雰囲気に飲まれ、ただただ周囲に同化して楽しめたらどんなに楽だろうか…とも思うけれど、そうなれないのが私なんだなぁ。

大して必要でないものを贈り合って、数か月後にはゴミ箱にポイ、クローゼットの中で埋もれて何年も存在を忘れてしまうような物にお金と時間を費やし、子ども達まで物質至上主義にしてしまうこの一連のイベントに、どうしても違和感を感じてしまいます。

幼稚園や巷からの影響で、サンタの存在を知っている長男(4歳)。2歳の頃には生のもみの木のクリスマスツリーを飾ったし、プレゼントも貰ったし、クリスマスが大体どんなものか、それなりに理解している様子。でも、あれが欲しい!これが欲しい!と一切言わないし、サンタさんにお願いするとも言わないので、あえて私達からプレゼントを用意する事はしませんでした。(日本の祖父母からはこれをあげてね!と言われていたものがあったので、約束通り用意しました。)子供たちが学校に通い始めたら、きっと状況も変わるでしょう。友達はプレゼントがもらえるのに僕はなんで何も無いの?って言われる日が来るかも知れない。そうなったら、ちゃんと説明したい。私達親の意見を押し付ける事はエゴになるので、子供と話し合ったうえでどうするかはまた考えようと思います。

夫婦間でのプレゼント交換も無し。キッチンツールとか欲しいものは幾つかあるけれど、それらがどうしても欲しいかと言われたらそこまでじゃないし、あえてクリスマスプレゼントとしてもらう必要は無く、必要な時に迎え入れればそれで良いと思っています。

先日久々に遠出をした時の話。

過度なロックダウンによって仕事も家も失った人々が、寒空の下ハイウェイ脇にずらーっと並ぶ光景を目の当たりにしました。もともとポツポツとホームレスがいたエリアに、今まで見た事無い数のテントが沢山。その一方で大量のプレゼントと食べきれないご馳走を囲んではしゃぐ人々がいる。同じ国で、同じ州で、同じ町で、この差は何?

国が変われば内線や戦争、略奪などで今を生きる事で精一杯の人々がいる。家族や両親のいない子ども達、貧困で今日明日をどうやって食いつないでいこうかという人々もいる。仮に、クリスマスがキリスト教のイベントならば、何故そういった人々に意識が回らないのだろう…とも思う。幸せって一体何?この世に渦巻くエゴのエネルギーにクラクラする。本当に必要なものって何だろう。私達は一体何を見てどこを目指しているのだろう。私に必要なものはもう既にあるんだよね。あなたにとって必要なものももう既にある。物質じゃない。お金じゃない。

そんな事を考える2020年の年の瀬であります。

皆様どうぞ良いお年をお迎えください。

 

 

 

 

 

 

楽健寺酵母パン、再開しました

今回の一時帰国中に冷蔵庫で休眠させていた楽健寺酵母。6カ月放置していたので流石にもう無理かなと思っていたけれど、冷蔵庫から出して餌を与えたら見事にブクブクと発酵、よみがえってくれました!…と前回のブログで少し触れましたが、そうなのです、楽健寺酵母ちゃんの生命力は半端ないのです。大体2か月位は持ちますよーって世間一般では言われているのですが、うちの楽健寺ちゃんは6カ月たっても元気だったので、捨てる事なく無事にパン焼きが再開できました。この酵母、老舗蒲焼き屋さんの秘伝のタレのように継ぎ足し継ぎ足しで、将来息子たちに受け継がせたいなと密かに思っているのだけれど、それも夢じゃないかも知れないなって思います。パンを焼かない期間があっても、酵母を冷蔵庫で休ませていたらまた後々使える事が分かったのでね。そもそも息子たちがパンを焼くかどうかって言われたら、焼かないかも知れないけれど(笑)

今までは野田琺瑯のぬか漬け美人を食パン型にしてたけれど、最近は持ち手付きの角型琺瑯容器で焼いています。一気に焼くより、少しずつ頻繁に焼いた方が楽健寺酵母の回転も良く過発酵になるのを防げるので私の生活リズムにはあっているみたい。

一次発酵後にベンチタイムを経て、琺瑯容器に移して二次発酵。発酵が上手く進めば容器半分程度だった生地が琺瑯容器から少しはみ出るくらいまで膨らみます。

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焼き色をしっかり付けると美味しい楽健寺酵母の食パン。

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今回の一時帰国でホシノ天然酵母を購入、試しに何度かパンを焼いてみましたが、ホシノはどちらかと言うとふわふわの菓子パンに、楽健寺は食パンなどのシンプルなパンに使い分けると良いなと思います。(私個人の好み。)

アメリカ暮らし*簡単キムチ作り

毎日毎日雨続き…。寒さよりもこの仄暗さに気持ちが滅入りそうになってしまいます。

息子たちは外遊びが出来ないので、ストレスが溜まっている様子。特に長男は1日中Fussyで…手を焼いています。「お兄ちゃんでしょ!」「お兄ちゃんだから我慢して!」とは決して言わないようにしているのですが、どうしても下の子が泣いてる時は手が離せないし、授乳中だったり寝かしつけの時には、長男なりに我慢したり寂しい思いをしたりしているのだと思います。4年間ずっとダディーもママも独り占めだったのに、弟が生まれてから急に両親との時間を赤ちゃんと半分こ(暫くはそれ以下かも知れない)にしろと言われても、そんなに簡単じゃないよね。毎日よく頑張ってくれてる。分かっているのにイライラしてつい怒っちゃったりして…しょっちゅう反省している私です。

 

そうそう。アメリカに戻ってきてようやく生活も落ち着いてきたので、また発酵食品作りを再開しました。冷蔵庫で眠らせておいたコンブチャスコビーは新たな紅茶液の中で再発酵中。楽健寺酵母は表面の空気に触れて黒ずんだ部分を捨て、また新たにりんごやニンジンなどの餌を与えたらブクブクと発酵してくれて、食パンを焼く事が出来ました!(写真撮り忘れ。)昨年日本から持ち帰って来てずっと冷蔵庫で眠っていた生の米麴で濃縮甘酒を仕込んだら、こちらも成功!麹菌によって、冷蔵庫内の環境によっては数ヶ月以内にダメになってしまう可能性もあるので一概には言えませんが、私の場合、紙袋に入れてから乾燥しないように更にビニール袋に入れ、酸欠にならないように袋の口を少しだけ開けておき、冷蔵庫の1番奥に保存しておいたら1年経った今でもしっかり生きていました。きっと香りだったり風味だったりは新しい麹には劣るのだろうけれどね。

そして今冬は初めてのキムチ作りにも挑戦。我が家の近くに韓国系スーパーがあって、そこでキムチはすぐに手に入るのだけれど、韓国人が韓国人の為に作っているので私達夫婦には辛過ぎるのです。そして量も多く食べきる前に過発酵になり酸味が強くなり過ぎて更に食べ辛くなるという負のスパイラルに陥ります。ならば、自分で作っちゃおうという事で、韓国唐辛子だけを新たに購入。後は家に有るもので作りました。

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今回使ったのは

  • 白菜
  • 人参
  • 大根
  • ニラ(ネギでも可)
  • りんご(あれば梨)
  • ナンプラー
  • 塩麹と濃縮甘酒
  • 韓国唐辛子
  • 生姜
  • にんにく

一口大に切った白菜に塩を振りしばらく放置。水が出てきたら塩抜きをして良く絞って水けを切っておく。残りの野菜を千切りに、しょうがとにんにく、りんごをすり下ろしてその他の調味料と全てを混ぜ合わせるだけ。我が家はプラントベースな食生活を送っていますが、ビーガンではないのでアミの塩辛の代わりに今回はナンプラーを使用。砂糖や米粉の代わりに自家製塩麹と濃縮甘酒を使って甘みをプラスしてみました。ナンプラー塩麹も甘酒も、みんな発酵食品なのできっとキムチも本来あるべき発酵食品として美味しく出来上がってくれるのではないかなぁと出来上がりが楽しみです。(余談ですが、スーパーで売っているキムチの多くは一切発酵していないなんちゃってが多いのです!)

美味しくできあがったら、暫くは小さめの琺瑯容器に入る分だけ(大体白菜の葉5~6枚)を作って、無くなる頃に新たに漬けるサイクルでやってみようと思います。

アメリカ暮らし*今年は基本のシンプル栗の渋皮煮

アメリカへ帰って来て約2週間。家族4人揃って過ごす毎日がありがたくて、毎日特別な事はしていませんが当たり前の日常が幸せで…穏やかな日々を送っています。

次男は4ヵ月と1日で早くも寝返りをマスターしてしまいました。お昼寝中や夜中に寝返りをして目を覚まして泣いて寝不足の様子。私もなかなか自分の時間を持つことが出来ず長男との時間もなかなか取れずもどかしいですが、これから少しずつ生活のリズムが整って落ち着いてくるかと思います。夜間授乳の為か、私一人未だに時差ボケが続いています。

そんな毎日を送っていますが、昨年は作る機会を逃してしまった栗の渋皮煮、今年は時間が無くても眠たくてもどうしても食べたくて作っちゃいました。

2018年の様子はこちら↓

livingsparklynaturally.hatenablog.com

2年前は赤ワインを使ったので色も濃く大人の味でしたが、今年はシンプルに基本の作り方でキビ砂糖を使って甘さを控えめに仕上げました。見た目も味も、今年の方が良い感じ。ふっくらしっとり感、伝わるかな。

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地元ワシントン州産の栗、約500gで5ドル。いつも行くスーパーの片隅にひっそりと陳列されていたのを発見して2袋(約1㎏)購入。半分は冷凍しました。後日マロンペーストや栗ご飯、お正月に栗きんとんにしようか…あれこれ考えるだけで楽しいけれど、実際にはそんな時間無いかなぁ。

 

日本の幼稚園生活を振り返って

今回は長男の日本での幼稚園生活を振り返って思った事などを書き留めておこうと思います。

9月の上旬から11月末までの3か月間、4歳の長男は日本の公立幼稚園へ通いました。

まるで4月の入園式からいたよね!と錯覚される位幼稚園に馴染み、彼らしさ全開で1日も休まずに幼稚園生活を満喫していました。11月に入ってから「もうすぐアメリカのおうちに帰るよ。」「幼稚園は11月でおしまいだよ。」と少しずつ少しずつ声を掛け、なるべくスムーズに心の準備ができるように接してきました。「アメリカに帰りたくない!〇〇幼稚園にずっと通いたい!」と言って泣いていましたが、登園最終日は泣かずに笑顔でさようならが出来ました。

途中入園とはいえ、お弁当袋やランチョンマット、上靴袋作り等のお裁縫、お道具箱の中身や全ての持ち物への名前つけ等、日本の幼稚園らしい事が出来て私も楽しかったです。園服、夏用と冬用の帽子、体操着やスモックなどは幼稚園から無料でお借りする事が出来ました。

幼稚園への送り迎えは片道徒歩10分~15分(子供抜きだと5分)、雨の日も風の日も頑張って歩きました。最初は疲れて抱っこをせがまれた帰り道も、いつの間にか最後まで自分で歩けるようになりました。幼稚園の登降園時は、次男が生まれてスーパー赤ちゃん返りをしていた息子と2人だけで!と心に決めていて、その間次男は母にみてもらっていました。1日にたった20分程度だけれど、ママを独り占めできる時間を作ってあげたかった。息子の為と思っていたけれど、でも本当は私自身の為だったんだと後から気づきました。毎朝手を繋いで登園した事、どんぐりを拾いながら歩いた事、歌を歌いながら歩いた事、たまにケーキ屋さんに寄っておやつを買って帰った事、沢山お話しをしながら歩いた2人だけの時間が宝物になりました。子供が大人になった時に思い出したら泣いてしまうんだろうな…なんて思っていたけれど、もう既に泣けてしまう…。

入園前は英語半分日本語半分だった息子、今では日本語100%になりました。ずっと標準語で話していたけれど今ではすっかり方言をマスターし、男の子っぽい口調や言い回しをするように。幼稚園のお友達の影響なんでしょうね。ダディーとの会話もほぼ日本語。ダディーが日本語話せちゃうからね…。

あまり好きではなかったお絵描きや粘土遊びも積極的にするようになりました。食事もスプーンやフォークしか使わなかったのに、お友達が使っているエジソン箸をみて自分も使いたいと言って今ではお箸を使いたがるようになりました。手先を使って何かをする事に興味が出たのかな。1人で黙々と集中して遊ぶ事も相変わらず好きなようですが、お友達と一緒に遊ぶ楽しさも知り、彼の世界はどんどん広がっているようです。もちろん、お友達と喧嘩をしたり思い通りにならない事があるとギャーっとなる事もあるし少し頑固なところもあって素直になれない時もあるけれど、「ごめんなさい」が言えるようになった事、我慢しなければいけない事が世の中には沢山ある事を幼稚園生活の中で学んだようです。

そして園長先生の方針で園では常に何かしら野菜を育てているのですが、園で収穫したパプリカやラディッシュ、水菜など持ち帰ってきて今まで食べなかった野菜を積極的に食べるようになりました。これには驚き!「3歳の時は食べられなかったけれど、4歳になったから食べられるよ!」と本人は言っていますが、野菜を自分で育てて収穫する経験やお友達と一緒に頂くという経験が大きな影響を与えていると思います。

たった3か月だったけれど、日本の幼稚園に通う事が出来て本当に本当に良かったです。快く受け入れて下さった園長先生や先生方、仲良くしてくれた園の全てのお友達や保護者の方々に感謝です。また来年、長期で一時帰国する機会があれば幼稚園で再開できたら良いなと思います。

 

 

日本を離れる時にいつも思う事

私も30代後半になり親となった今、娘を遠く海外へ嫁に出した両親の気持ちが痛い程分かるようになりました。(我が家は男の子2人だけれどね。)

私が年を重ねれば重ねた分だけ、両親も年を取っているわけで…今回の長期一時帰国を終えて日本を離れる時、「あと何回こうして両親と一緒に過ごしたり、子ども達を会わせてあげる事が出来るのだろうか。」と真剣に考え胸がギュッと押しつぶされるような感覚に陥りました。「彼らに万が一の事があったら…私は間に合うのだろうか。果たしてすぐに駆け付けられるのだろうか。」とも。

何も無ければ昨年のように母も一緒にアメリカに来てもらい冬のワシントン州を一緒に楽しみたかったのですが、Covid-19で大騒ぎの中流石にそれは出来なくて泣く泣く諦め、一人で気合を入れて子供2人を連れて帰ってきました。母は11月下旬頃からちょっとした事で涙ぐむようになり、息子の幼稚園最後の登園日もウルウル、息子が「ばあや(ばあば)、また今度アメリカのおうちに来てね!」と言っただけでウルウル、最終日の朝息子が「ばあや、おはよう!」と言っただけでシクシク泣くのです。もともと涙もろい母でしたが年々涙もろさに拍車がかかり、そんな彼女のDNAをしっかり受け継いだ私も一緒になって泣いてしまうようになりました 笑

母との関係は昔から比較的良好でしたが、私が結婚をしてから益々絆が深まったような気がします。女性として、妻として、嫁いだ嫁として、そして母として、分かち合える事や理解できる事が増えたからかも知れません。

夫と出会い恋に落ち、この人となら何があっても一緒に乗り越えていける!と6年前に結婚し今もその気持ちは変わらないし、これから先彼と歩む人生が楽しみでもあり大切にしたいという気持ちは変わっていません。でももし、日本在住の人と結婚していたらどうなっていただろうかと思う事もあります。

20代で日本を飛び出しドイツで暮らし始めた時も、30歳で結婚してアメリカに移住してきた時も、こんな風に考える日が来るなんて思ってもいなかった。そしてこの思いが、私が今ここアメリカに腰を据えて暮らしていくという覚悟を決めきれない大きな一因でもあるように思います。他人を押しのけて、私!私!が出来ないと生き残れない、消費して捨ててまた消費して…という国、基本的に私には合わないと言ってしまえばそれまでだけれど…。(もちろんアメリカのこんなところ素敵だなーと思う事も沢山あります。)

いつか日本に帰る事も視野に入れてみたり(夫婦で)、色々考えてはいるけれど…どんな未来が待ち受けているのかな。